ぱらりーそーしー日記

タイトルに特に意味はありません。子どもの造語がかわいかったので、タイトルに使いました。本、子育て、映画、旅行等。たまにしか投稿しませんが…

パルミラ遺跡 つづき

朝、思ったより早く目が覚めてしまったので、しばらくの間、もう一度寝ようと努めたり、本を読んだりしてダラダラと過ごした。
夕暮れ時のパルミラ、その美しさをまた堪能したいから、慌てて陽が高いうちから出て行くこともない。10:00頃になって、やっと外出する。

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ベル神殿

まず郵便局へ向かい、葉書を日本へ出した。どういうわけか知らないが、アレッポから出すより安い。

次にツーリスト・インフォメーションへ向かう。誰もいないので少し待つと、おじさんが眠たげな顔をして入って来た。しかし、この人が英語がしゃべれない。英語が話せないツーリスト・インフォメーションなんてありか、と思いつつ、後でまた来ることにした。他にもスタッフがいるかもしれない。

午前中にやろうと思ってたことの残り1つは、バスのチケット取りだ。
カルナック(国営バス)へ行くと、「デリゾール行きは11:15だから、明日その時間に来て」と、牛乳瓶の底程度では済まない厚いレンズのメガネをしたおじさんに言われる。これで仕事はとりあえず完了。観光に移る。

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ベル神殿

カルナック前のミュージアムでベル神殿のチケットを買おうとすると、神殿へ行けと手振りで示される。神殿へ向かうと、ちゃんと神殿にチケット・オフィスがあった。300SP(シリアポンド)が学生だと15SPになる。すごい割り引き方だ。

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ベル神殿

神殿はこのパルミラ遺跡群の中で最も大きい。主神、太陽神、月神を祀っているらしい。レリーフなどもしっかり残っている。

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記念門

チケット・オフィスの土産物の中に「十字軍の城」とかいう本があり、表紙によく見る横から撮ったロレンスの写真がある。どうやら著者はロレンスらしい。遺跡(クラック・ド・シュヴァリエ)のスケッチもあったりして、まったくいろんなことをやってる人だ。それから少し街中をぶらついて、パンとジャムを買って帰り、昼メシを済ませ、少し寝た。

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クラック・ド・シュバリエ(パルミラではない)

1999年1月のある日

パルミラ遺跡

チェックインが済むと、期待に胸を高まらせつつ、パルミラ遺跡に急ぐ。

目の前には広大な遺跡、遠く山の上にはアラブ城がそびえている。

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パルミラ遺跡 全景

その中を1時間半以上かけてゆっくりと歩き回る。四面門、アゴラ、元老院跡、列柱回廊…どれも素晴らしい。

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四面門

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列柱回廊

そして、小高い山の上から全体を見下ろす。山の上から見下ろすと、昔日の繁栄、迫り来るローマ兵との戦いなどのシーンが頭に浮かんでくる。

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パルミラ遺跡 全景

円形劇場、記念門、遺跡の中は無料で自由にどこでも歩き回ることができる。

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円形劇場

時間はちょうど夕暮れ時。遺跡は徐々に黄色く、そして赤く色を変えてゆく。その美しさ、見事さ、言葉で説明できない。ただただもう素晴らしい。旅行中、あちこちの遺跡を見たけど、遺跡を見てこれほど深く喜びを感じたことはない。

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四面門

円形劇場を見ていると、写真を撮っていた男の人が声をかけてきた。パキスタン人らしい。
その後、しばらく彼と一緒に歩く。早口で英語はほとんど聞き取れなかったが、彼は今日中にホムスへ帰るらしい。時間を気にしている割には、悠長に写真を撮っている。大丈夫なのか?

16:30のバスが最終だと言ってたのに、もう16:30を過ぎ、カルナック(国営バス)の便はなくなった。
そんなわけで彼と一緒に他のバス(プルマン=民間バス)を探すことになる。寒い中を歩くことしばらく、やっとホムス行きのミニ・バスがみつかった。早く帰りたかったが、見知らぬ土地で、あるかどうかわからないバスを探す心細さを考えると、それはできなかった。

彼を見送ってから、昼間、日本人がいた店に行ってみる。観光地だけあって、さすがに安くはない。キョフテ、ナス、トマト、フライドポテト、ピラフの定食で125SP。日本人料金で本当は150SPだそうだ。本当かなあ?
しかし高いだけあって、味はよい。チキンに飽きていたから、キョフテもポテトもうまいし、ピラフは特にうまかった。明日も昼はケチって、夜はここにしようか。

明日もパルミラを堪能しよう。

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パルミラ遺跡 全景

 

1999年1月のある日

パルミラへ向かう

 Tさんに再び別れを告げて、セルビス乗り場へ向かう。

 昨日、宿の兄ちゃんにアラビア語で書いてもらったバス・ステーションの名前(ハレスタ)をセルビスの運転手に見せてはハレスタ行きのバスを探してうろついていると、またもや1人のシリア人が“May I help you?”と聞いて来て、ハレスタ行きのセルビスをつかまえてくれた。
 中東とかアラブの国と言うと怖いイメージがあるかもしれないけど、親切な人が多いよなあ。

 ハレスタに着くと、まず税関のようなゲートがあり、カバンを開けるよう言われ、中をチェックされた。
 ハレスタには民間バス会社のオフィスがたくさん並んでいる。バスも、トルコほどじゃないけど、まあまあきれい。
 何軒か回ってPANという会社がパルミラまで100SP(シリア・ポンド)と一番安かったので、そこを使うことにする。

 ここでも客引き合戦がすごいわけだが、困るのは英語を話せる(自称)という人達だ。謙遜なんてことはしない文化なのか、自信ありげに「英語を話せる」と言う。でも、話し始めてみると、ほとんどしゃべれなかったりする。それはこっちも同じではあるんだけど、せめて数字くらいはまともに言ってくれないと、バスの時間が間違ってたら困るじゃないか…

 11:00発のはずだけど、いつまで経ってもバスが来ない。受付のまたもや愛想のないお姉さんに聞くと、あれだと指し示してくれたのが、カルナック(国営)のバス。わけがわからん。

 今回のバスのルートは砂漠をつっきるようなルートだ。

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パルミラへの道中

 高さ20mほどの木がわずかに生えているだけの荒野、そして木の全く生えていない茶色い山がずっと続く。礫砂漠だ。そんな中でも、たまに羊の放牧をやっている人がいる。水気が全くなく、荒涼とした大地。実に魅力的だ。「アラビアのロレンス」だ。

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パルミラへの道中

 3時間ほど走ると、遠くにオアシスが見えて来る。木はたぶんナツメヤシだろう。その木立の間から遺跡が少し見えて来る。少ししか見えなかったのだが、この時点でもうその素晴らしさを感じさせられる。

 バスは遺跡の中を通る道路を走り、バス・ターミナルに着く。降りると同時に、タクシー、ホテルの客引きがわんさと寄って来て、遺跡を前に高まる気持ちにちょっと水をさされた感じ。

 まっすぐメイン・ストリートを進むと、一軒のレストランで、日本人に声をかけられた。イスタンブルのムーンライト(ドミトリー)で会った日本人夫婦と、初めて会うもうお一方だ。
 レストランで一緒にチャイを飲んで、ホテル情報を聞き、ウマイヤド・パレスに向かった。一番安そうな150SP(3$くらい)の部屋にした。

 

1999年1月のある日

ダマスカス市街を歩く そして嬉しい再会

 昼からは、まずアサド橋に写真を撮りに行った。
 街の北にカシオン山という山がある。乾ききっている茶色の山肌に住宅等がへばりついている。木の全く生えていない山はなかなかよい。
 この山はただの山ではない。人類が最初に殺人を犯した山でもある。もっとも、聖書での話だけど。聖書に出て来る、あのカインとアベルの事件現場だ。

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カシオン山

 山頂に軍事基地があるらしいので、写真を撮るのも少しためらう。

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カシオン山

 それからヒジャーズ駅に向かった。この駅は現在では使われていない。古いヨーロッパ風の外観(アサド大統領の肖像はもちろんかかってるが)で、内装もかわいい。

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ヒジャーズ

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ヒジャーズ駅の内部

 裏手に回ると古い貨車が並び、マクハ(カフェ)にもなっている。

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ヒジャーズ駅裏手の機関車

 それからもう一度ウマイヤド・モスクに向かった。

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ウマイヤド・モスク

 今日は金曜日だからか、人が多い。中で説教を聞いたり、讃美歌みたいなのをみんなで歌ってるのを聴いたりしながら、1時間ほどボーッと過ごした。

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ウマイヤド・モスク

 宿に戻って来ると、部屋に新しい人の荷物が入っている。どうも見たことあるようなチャリダー用バッグだ。もしやと思って中庭に出てみると、見覚えのある古めかしいチャリがある。ほぼ間違いなくTさんだ。カッパドキアで一緒だった。
 しばらくロビーにいると、やはり彼が帰って来た。カッパドキアで別れる時、私はギリシャに行くと言ってたから、えらく驚かれた。再会を驚き、喜びつつ一緒にチキンを食べに出て、夜はワインを買って帰って、新年を祝し乾杯した。1ヶ月ぶり、全く違う場所での思いもかけぬ再会、うれしいものだ。

 

1999年の元日

ダマスカス市街を歩く

 今朝、トイレに行くと、本当に水のようなというか、タール状のというか、の便が出た。いきなり汚い話ですみません。その後もトイレに2回行ったが、2回とも。こうなると、いろいろと心配を始めてしまう。なんで旅も終盤の今頃になって下痢なんだ。そういうのは、普通は旅行し始めになるんじゃないのか。

 何度かトイレに行くうちに落ち着いたので、ダマスカス市内見学に出発する。

 まず軍事博物館へ行ったけど、ここは閉まっていた。金曜日は休日だけど開いてるはずなんだが、さすがに元日だからな。
 撃墜されたイスラエルの戦闘機とか見てみたかったが、閉まってるんじゃあしょうがない。外からいくらかのぞけるので見てると、古いタイプの戦闘機(小さい!)や、自動車なみの大きさの戦車なんかが置いてある。当時はそれでも脅威だったんだろうけど、今見ると、こんなのでよく戦ってたよな、と思わせられるくらいだ。

 時間ができてしまったので、バス会社(カルナック)に行ってみる。
 メイン・オフィスでパルミラ行きのバスの有無を聞くと、受付の女性に無愛想に「あっちだ」と言われる。社会主義国の国営だと、こうなるのか…おまけに、そっちのオフィスに行ってみると、ここはヨルダンのアンマン行きだと言われる始末。でも、こっちのオフィスの人は少しは親切で、アルマン(民間)のバス・ターミナルへ行けと教えてくれた。

 少し歩き疲れたのもあり、腹の具合が心配なのもあり、一度、宿へ戻ることにした。途中、青物・果物スークの少し手前でケバブを焼いてるのをみなが食べているのがうまそうで、一つ持って帰って食べることにした。
 注文した後、「写真を撮ってもいいか?」と聞くと、おっさんに怒られてしまった。「写真撮りたきゃ、マルジェ広場でも行け」(たぶん)
 宿に帰って食べたはいいんだが、完全には火が通ってないとこもあって、余計に腹のことが心配になった。

 

1999年の元日