ぱらりーそーしー日記

タイトルに特に意味はありません。子どもの造語がかわいかったので、タイトルに使いました。本、子育て、映画、旅行等。たまにしか投稿しませんが…

ハマムへ行ってみる

朝は久しぶりにハチミツとエクメック(パン)の食事をとり、何をするともなくダラダラしていた。10:00頃には他の人達も起き出して来た。

昨日話していたように、昼前からIさんと共にハマムに行ってみることにする。
だけど、その前にロカンタ・ツアーをすることとなった。Iさんが食事をしようと言うんだけど、彼の気に入ったレンティル・スープ(豆のスープ)がなかなか無かったのだ。結局スルタン・アフメット地区を中心に10軒近くをまわっただろか。それでも彼の目にかなう店はなく、ハマムに行く途中のロシア人街まで来てしまった。結局、ロシア人街でケバブ屋に入った。最初にスープと共にナン風のパンが出て来て、その後ケバブが焼けて来たのだけど、こっちにもナンがついてくる。量が多いのはありがたいけど、この時ばかりは苦しかった。宿を出る少し前にエクメック1本を食べていたから。*1

地図を見ながらやっと目的のハマムにたどりついた。僕は250万TL、Iさんはマッサージ付きで450万TLのコースを頼んだ。2人一緒に着替え部屋に通され、薄っぺらなタオルを渡され、服を脱いでタオルを腰に巻いて出て来てと言われる。着替えて出て行くと、まずサウナへ通される。熱した石であたためられたサウナで汗を流した後、ドーム状の高い天井を持った大理石づくりの部屋に入る。ここで洗ってもらうのだ。

まずIさんから。マッサージは結構きついみたいで、時々声が漏れたりする。
彼が終わってさあ次だと思ってたら、洗い役のおっさんは出て行ってしまった。「何なんだろう」と思いながらロビーへ出て行くと、マスターがお金を出せと言う。250万TLはただの入場料らしく、マッサージは別料金ということかな。しょうがないので、後で払うよと言って部屋に戻る。

Iさんがやってもらった大きい部屋とは別の部屋に入れられ、始まった。まず、あお向きに寝かされ、一通り体を洗われ、それからマッサージだ。かなりきつく、そりゃ確かに声も漏れる。上半身のマッサージなど骨の間に指が入ってくるようだ。そしてうつ伏せになり、また洗われた後マッサージ、そして関節もやってくれた。

その間、マッサージしているおっさんはずっと「ウチ・ミリヨン(300万TL)と言い続けている。どうやらもう300万TL必要と言ってるらしい。「実際、いくらなんだよ、まったく」と思いつつ、声を漏らしながらマッサージを受けた。マッサージが終わると水シャワーで泡を洗い流し、最後にシャンプーをしてもらってフィニッシュだ。*2

出て行くとマスターが頭、肩、腰にそれぞれタオルを巻いてくれ、着替え部屋で水を飲みつつ休んだ。残り200万TLを払い、いわゆる本当の「トルコ風呂」初体験は終わった。
それからフリース1枚というかっこでクソ寒い思いをしながら、カーリエ・モザイク博物館まで往復した。Iさんは元自衛隊なだけあって、きちんとした姿勢ですんずん歩いていく。ついて行くのが大変だった。

晩はムーン・ライトのみんなで中華料理屋へ行った。入った途端、中国で嗅いでいた懐かしい香りが漂よってきた。今日はおばさんが一人で切り盛りしていて、てんてこまいしていた。なすの炒めものを頼む。久々のチャーハン、中華料理がとてもおいしい。値段もそれほどではない。

晩は宿でUさんや「熊本の兄ちゃん」(バイクで北欧を回って来た)らの旅先での話を聞きつつ、結局、寝たのは01:30頃となった。

 

1998年12月のある日

*1:レンティル・スープ、つまりレンズ豆のスープにも何種類かあるようで、どのスープだったのかは覚えていません。レンティル・スープは例えばこんなのです。 日本・トルコ協会 定番 レンズ豆のスープ http://www.tkjts.jp/recipe/soup/1765/

*2:ハマムについて詳しくは、例えばこちら ターキッシュエア&トラベル https://turkish.jp/blog/%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%81%AE%E9%A2%A8%E5%91%82%E4%BA%8B%E6%83%85%E3%81%A8%E3%81%AF%EF%BC%9F%E6%97%85%E8%A1%8C%E8%80%85%E3%81%AB%E4%BA%BA%E6%B0%97%E3%81%AE%E3%83%8F%E3%83%9E%E3%83%A0%E5%85%A5/

久しぶりのイスタンブル

06:30頃から周囲が騒がしくなり始め、予想外に早く起きてしまった。通路に出ると、ツアーのおばさん達が並んで外を見ていた。昨日のおばさんが来て、少し話をした。自分の娘が同年代だから心配してくれているようだ。最後にギリシアローマ神話の本をくれた。日本語の本はありがたい。

ハイダルパシャ駅には08:30頃に着いた。ハイダルパシャ駅は堂々とした構えで、海に浮いているようにも見える。すぐ前の乗り場からフェリーに乗ってエミノニュへ向かう。海峡の向こうにブルー・モスクなどがけぶってみえる。懐しきイスタンブルだ。

ハイダルパシャ駅

 

今日の宿はムーン・ライトにしたんだけど、行ってみて驚いた。日本人だらけだ。2階にドミトリーが3部屋あるけど、全て日本人だった。日本人に会えるのはうれしいけど、ここまでとは。

ハイダルパシャ駅 なんでこんなに斜めに撮っているのか

 

午前中はダラダラと、シャワーを浴びたり、洗濯したりして過ごし、昼頃、宿にいたOさんと食べに出た。安ロカンタ街や中華料理屋を教えてもらい、うち一軒のロカンタで昼ごはんを食べる。

彼女は1年前に仕事を辞め、何も知らぬまま、出発の3日前にそのことを両親に告げて出て来たそうだ。あちこちに長く滞在して(例えばアンタルヤ20日間ほどとか。美布里も知っていた)、もう1年になるそうだ。穏やかに話す、しゃべりやすい人だった。

それから彼女と別れ、PTTへ向かい、その後、領事館へ向かう。地図上で、あるいはフェリーから見ると大したことなさそうな距離だったけど、歩いてみるとえらい距離だった。1時間15分はゆうにかかった。おまけに手紙もガイドブックも未着。意気消沈したり、ギリシアどうしようかなあなどと思いつつ、またへとへとになりながら帰った。
(この頃は領事館はスイス・ホテルだったか、タクスィム広場からそう遠くないところにあったような気がするけど、今は違うらしい)

宿でギリシアの「歩き方」を読んだけど、物価は高そうだし、宿も結構閉まってるところが多そうだし(何せオフシーズンだから)、段々と行く気が失せて来る。
夜は同宿の人達とドイ・ドイへ行った。「歩き方」にも載ってる店で、安いわりに味もよい。同行した人は、Kさん(雑誌のデザインをしていたけど仕事を辞めて来た)、Tさん(休学中の学生)、Iさん(元自衛隊)、Eさん(バイク便)だ。夜は宿へ戻り、Kさんらのギターを聞きつつ、これを書いている。

夜、IさんとUさんに誘われて、オリエント・ユースにベリー・ダンスを見に行った。オリエント・ユースの下のバーで酒だけ飲んでれば、無料でベリー・ダンスを見れるのだ。3人で22:00頃から飲みつつ待っていると、残りの連中もやって来て、23:00過ぎにダンスが始まった。ダンサーはスタイルもよく、顔はベアトリス・ダルによく似てセクシーだった。一しきり踊ると彼女は客を一人ずつ引っぱりだして上半身の服を脱がせ一緒に踊り出す。不幸にして引っぱり出されてしまった。欧米人はいきなり引っぱり出されても器用に踊るが、自分はうまく踊れずカッコ悪い思いをした。

明日はハマムへ行ってみるつもりだ。そしてギリシアへ行くか、シリアへ行くか、早いうちに決めねばならない。

 

1998年12月のある日

イスタンブルへ向かう その2

(承前)

paraly-sorcy-diary.hatenablog.com

残念ながら大使館にも手紙は来ていなかった。他にすることもなし、11月19日付けの古い日本語の新聞を読んでいると、ショッキングなニュースに出くわした。淀川長治さんが亡くなったのだ。テレビでは当たり障りのないことばかり言っていると思われるかもしれないけど、この人の本を読んでいると、映画を観る眼の確かさに感心する。それにこれほど映画を語れる人もいない。なんせチャップリンだのワイダだの、映画の歴史に名を刻んだ人達と実際に会って話をしているのだ。人柄もよさそうで、語り口もよかったし、惜しい人を亡くした。このニュースを読んだときは思わず「えっ」と声をもらしてしまった。

後は前回アンカラへ来たときの繰り返しだ。HOTEL SIPAHIのロビーで1時間ほどテレビを見て過ごし、ごはんを食べに出て、またホテルでテレビを見ながら日記を書く。周りのトルコ人のおじさん達は暴動のニュースを見て怒って舌を鳴らしたりしている。そしてまたもや隣に座った人がチャイをおごってくれたりする。こういう瞬間のトルコ人のちょっと気恥ずかし気でもある親切の表し方は好きだ。

そして宿を後にし、駅へ向かった。アナドル・エキスプレスは21:40頃に駅に入って来た。見かけも内装もアンカラ・エキスプレス(隣のホームに停車していた)よりは少し落ちるようだけど、それでもコンパートメント寝台とはなかなかリッチな気分になれるものだ。1コンパートメントを2人で使うようになっている。室内には洗面台もついている。

そのうち、日本人のおばさん達のツアー団体がやって来た。うち1人がオーバー・ブッキングになっていた、私の部屋と。彼女達のトルコ人ガイド「トオルちゃん」(渡辺徹に本当に似てる)が処理してくれている間、そのおばさんと話すと、九州の人達のようだ。気のいい人でよかった。

リッチな気分はいいけど、この列車はかなり揺れる。こうして日記を書いているけど、一苦労だ。余談だけど、この列車のトイレは「旧国鉄の悪夢」ってやつだった。つまりタレ流しだ。恐れ入った。そうこうしている間にも列車はアンカラの街を抜け、イスタンブルを目指し、トルコの大地を大いに揺れながら駆け抜けていく。

 

1998年12月のある日

イスタンブルへ向かう その1

(どういうわけか1日分の日記が無くて、以下の投稿は前回投稿の翌々日の話になります)

paraly-sorcy-diary.hatenablog.com

アンタルヤからアンカラへの道中で撮った写真。ガソリン代の桁数がおもしろかったのだろう。

さて、問題は2つある。1つ目は今晩のアンカラ・エキスプレスに空きがあるか、もう1つは空きがあったとして夜までどうやって時間を潰すかだ。

ともかく少し早目に起きて、チェック・アウト後、荷物を預けてTCDD(トルコ国鉄)のアンカラ駅へ向かう。ウルスからはメトロからアンカライへ乗り替え、マルテペで降りる。マルテぺから長い地下道を抜けると駅だ。駅内にツーリスト・インフォメーションがあり、そこで聞くともう既にアンカラ・エキスプレスは満席らしい。ただ、少し前の22:00にアナドル・エキスプレスというのがあるらしく、そちらは空席があるというので、アナドル(アナトリア)で行くことにした。コンパートメント寝台で、780万TLだった。

列車のチケットは確保できたので、次はウルスの郵便局へ向かったけど、今回も手紙はなかった。一度宿へ戻って荷物から「変身」を取り出し、しばらくゲンチリッキ公園のベンチで読んだ。薄い本だから、さっさと読み終わってしまわないように、ゆっくりと。昼食時までまだ間がある。時間潰しも兼ねてオトガルまで写真を撮りに行くことにした。ここのオトガルは空港ばりなのだ。

アンカラのオトガル

それも終わっていよいよ本日のメイン・イベント、大使館へ行くためクズライへ向かった。アンカライのクズライ駅からバスに乗ると早く着いてしまうので、歩いて行くことにした。途中であったマクド(ナルド)に入ってみる。ハンバーガーのセットで80万TL。高い。味は変わらないけど、なんだか見てくれが貧相だ。パンも少し小さい気がするし、タマネギの量も少ない。これで80万TLするなら、ドネル・サンドでも食べた方がいい。

大使館には13:30頃に着いた。図書室が開くのは14:45なので、前の公園でクッキーを食べ、本を読みつつ待った。ジャパニ(日本人)は1人もやって来なかったけど、しばらくすると日本語を話すトルコ人がやって来た。1年弱日本で言葉を勉強したり、日立建機かどこかで研修を受けつつ、地ビールを出す店でバイトをしたりしていたそうだ。こちらが日本人だからサービス・トークだったのかもしれないけど、日本での生活はとても楽しく、ライフ・スタイルや何やかや日本のことが好きで、また日本で仕事をしたいと言っていた。トルコの会社と日本の会社を仲介するような仕事を。そして彼にはJALのスチュワーデスをしている32才の彼女がいるそうだ。ちなみに彼は25才。日本のことを好きだと言ってくれ、穏やかに話す好感の持てる人だ。これからイスタンブルへ行くと言うと、彼はイスタンブルに住んでいるそうで、名刺に携帯電話の番号を書いて渡してくれた。

(つづく)

 

1998年12月のある日

2022年下半期に読んでよかった本

年末年始を利用して、どうにか2022年に読んだ本(出版された本じゃないよ)の紹介が終わった。本の紹介を真面目に書くのって難しいわ。私にできるのは、こういう雑な紹介がせいぜい。

 

宇宙や宇宙探査、宇宙への進出の裏にある技術者達の活躍などについて、わかりやすく解説している本です。宇宙とか数学とか難しそうだなあ…なんて心配はいりません。著者の熱い語り口に引き込まれるでしょう。

 

笑いの感じが好きだったこのシリーズも、これで完結です。

 

ジョージ・オーウェル1984年」の100年後である2084年を舞台に、多くのSF作家が競作。短編の切れ味を楽しめるのから微妙なものまでいろいろ。いろんな作家の短編を読んでみて、次にその中から気に入った作家の中編・長編を読んでみるのもいいかも。

 

ファースト・コンタクトもの。異星の生物との不幸な出会いや幸運な出会いがきっちり書かれていて、これはファースト・コンタクトものの傑作じゃないかな。

 

登場人物は鉱物がかわいい女の子(?)に擬人化されたもので、メルヘンな話かと思いきや、やがてしっかりSFになり、さらにやがて(いい意味で言うんだけど)ぶっ飛んだ、狂った感じになって来て、すごい作品だ。

 

2022年末で版権がどうのこうのという話をチラッと聞いて、慌ててシリーズ中の持ってないのを買い揃えた。(結構かかった)でも、まだAmazonでは売ってるな。何だったんだろう。
それはともかく、指輪物語ハリー・ポッターほどの知名度はないですが、正統派ファンタジーでとてもおもしろいので、読まないと損ですよ。

 

その存在を知らず、ゴッドファーザー特集をやっていなければ手に取ることもなかっただろうこの雑誌。読んでみて、特集以外も含めて、その内容の濃さにびっくり。

さて、2023年も、積ん読が減らないことを幸せと考えつつ、読みまくるぞ。