ぱらりーそーしー日記

タイトルに特に意味はありません。子どもの造語がかわいかったので、タイトルに使いました。本、子育て、映画、旅行等。たまにしか投稿しませんが…

チャナッカレ(トロイ)で

防犯のことなんて忘れて(といってもMetroのバスだから比較的安心なのだけど)、すっかり眠りこけてしまった。起きると、どうやらブルサに着いたらしく、人々がぞろぞろと降りて行く。

降り際にジャン・レノに似てなくもないトルコ人青年(28才)と話す中で、「チャナッカレへ行きたい」と言うと、「じゃあ、ここじゃない。新オトガルだ」と教えてくれた。彼もチャナッカレへ行くのだ。助かった。まだ日も出ぬ暗い内に途方に暮れるとこだった。

トルコ人の英語はどうも聞きとりにくい。もっとも、向こうも「ジャパニの英語は聞き取りにくい」と思ってるだろうけど。どうも部分的にローマ字風の読み方をしてしまうようだ。トルコ語の読みは比較的そうだから。

そんな訳でお互いに意思の疎通がうまくいかぬまま、MURATの代替バス(Ulusoyだった)に乗り込んだ(MURATのバスは故障らしい)。

どちらかというと相手の方がフラストレーションがたまっていたかもしれない。自分の英語が理解されないからだ。別に悪意を持って言うわけではないけど、彼らには自信があって、自分の発音が変だとは思わないらしい。そんなわけで話したり、寝たりを繰り返しながらチャナッカレに着いた。

チャナッカレの印象、とにかく寒い。ネムルトでは「アンカラは寒いぞ」と脅されたけど、この寒さはアンカラの比ではない。シャワーを浴びるとき寒い思いをしたのを除けば、トルコでは今までで一番寒い。それでも日本よりは暖かいと思いながら過ごして来たけど、初めてしみじみと冬を感じた。

チャナッカレの街はシンプルで、泊まろうと思っていたホテルはすぐみつかった。ANZAC HOTELだ。ドミトリーがあるらしくここにし、実際ドミトリーはあるにはあってそこに泊まっているのだけど、実質的にシングルだ。旅行シーズンでないだけあって、同居人なしだ。

さんざん迷ったあげく、トロイへはツアー(350万TL)で行くことにする。ツアーは15:00に出発し、ダーダネルス海峡を右手にみながら、30分程かかって遺跡へ着く。人のよさそうなガイド(この人の英語はわかりやすかった)とオーストラリア人老夫婦もしくは親子、ドイツ人カップル、不明1というメンバーだ。

着いてみて、ツアーにしてよかったと思う。何せムチャクチャ寒いから、とても看板の説明なんぞ読む気にならなかったろう。ガイドさんが説明してくれて助かる。

トロイの遺跡

 

ガイドブックでは「わかりにくい」という評価の多いこの遺跡も、なかなかのものだ。確かに派手さもないし、いろんな時代の遺跡が混在してたり、積み重なってたりはするけど、小高い丘の上にある遺跡から遺跡それ自体、そして遠く広がる平野を見つつ、はるか昔のアガメムノンオデュッセウスらの戦い、そしてシュリーマンの情熱に想いを馳せると感慨を覚える。

時代ごとの複層になっている

トロイの遺跡

そしてツアーの終わりは例のパチくさい復元木馬だ。震えつつ老夫婦(あるいは親子)の写真を撮ってあげたり、もらったりしながら(このおばちゃんはいい人だった)、ツアーは終わり、チャナッカレへ引き返した。

トロイの木馬マルウェアじゃなくて本物の)

帰ってからバス会社でベルガマへのチケットを取り、ホテルへ戻ると、若い兄チャンが話しかけてくる。面白そう(と言うか他にすることもなし)なので話に付き合い、日本の人口や飛行機の話なんかをしてると、茶を飲みに行こうと言いだした。黄信号点灯だ。しぶってると少し英語を話す相棒の方がカードをしに行こうなんて言い出した。赤信号点灯。悪い奴じゃなさそうな笑顔を見せているが 、”You, dangerous man" である。あやしいと思ったら、やめた方がいい。

その後、夕食に目星をつけていたロカンタに入った。ロカンタらしいロカンタは久しぶりだ。ギョレメは観光客向けの普通のレストランが多いし、アンカラもどうもケバブ屋が多かった。そして期待に背かず、このロカンタにはあまり外国人が来なさそうだ。いつも通り指で料理を指し、店員に「しょーがねえなぁ、この外国人は数字もわからねえで」ってな感じで半ばあきれられつつ笑われつつ席へ向かう。相手にすりゃ迷惑な話だろうけど、こういう瞬間も楽しい。思わず、明日もこの街にいてこの店に来よう、なんて思ってしまう。

でも、明日はベルガマへ向かう。これから地中海へ出るまで、ツーリスティックな場所が続きそうだ。

 

1998年12月のある日