ぱらりーそーしー日記

タイトルに特に意味はありません。子どもの造語がかわいかったので、タイトルに使いました。本、子育て、映画、旅行等。たまにしか投稿しませんが…

自分の本たちの将来

荒俣宏氏がその蔵書約20,000冊の大半を処分したというニュースを見た。

gendai.media


500冊だったかだけを手元に残し、1万冊ほどはどうにか引取り手を見つけ、残りは処分することになったそうだ。

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荒俣宏氏の蔵書ともなれば貴重なものもかなりあったんだろうけど、何という文化的な損失だろうか。
私もかつては本をたくさん持っていて、でも置く場所がないので、コンテナに乾燥剤等とともに入れて、押し入れに入れていた。荒俣宏氏や時折Twitter等で見る人(床にも廊下にも山と本が積まれている)に比べれば、持ってないに等しい数とはいえ。保管状態としては全然よくないだろう。

結婚の機会に、悩みに悩みながら残す本を選んで、かなりの量を人にあげたりブックオフで売ったりした。

自分が持っている本の中で貴重な本というと何があるだろうか。たぶん、ほとんどないだろう。

自分にとっては貴重だけど、そうでない人には古紙にしか過ぎないかもしれない。
雑誌ウォーロックはかなり持っているけど、第1号は持ってないな。自分にとっては、小遣いためては本屋にいそいそと買いに行っていた思い出もあり貴重なものだけど、そもそも「ウォーロック」を知ってる人も限られてるだろうな。


 

あとは何があるかなあ。ちょうど今、映画「コンタクト」を久しぶりに見ているところなので思いついたのだけど、カール・セーガン「百億の星と千億の生命」を持ってるのはちょっと自慢かも。と書いてから調べたら、中古で数百円で売ってた。買った頃はなかなか手に入らなかった覚えがあるんだけど… まあ、そんなもんだ。

 

そして、今はもっぱら電子書籍で本を読んでいる。電子書籍で読んで余程気に入ったものは紙の本でも買っているような感じ。場所がないからしょうがないんだけど、今住んでいる市には本屋がなくなってしまったし、それにいくらかの責任もあるかもしれないなという後悔も幾分ある。

書斎がある家に住めたらなあとか思ったり、退職したらハイエースか何かに本をたくさん積んで、中山間地域の子ども達が手に取って本を選べるように巡回したりしたいなとか夢見たりもして、でも先立つものが必要だしと思いながら、天文学的確率でしか当たらない宝くじを時々買ったりするのだった。カール・セーガン博士には「確率を考えな」と叱られたりするだろうか。

また、自分が死ぬまでに本の処分を真面目に考えとかないといけないなとも思う。今持ってる本を移動販売するのもいいかもね。いや、欲しがる人がいないかもな…