ぱらりーそーしー日記

タイトルに特に意味はありません。子どもの造語がかわいかったので、タイトルに使いました。本、子育て、映画、旅行等。たまにしか投稿しませんが…

クネイトラ その1

ついに1998年の大晦日をダマスカスで迎えることになった。

今朝はクネイトラへ行くべく、早く起きた。しかし、残念なことに、雨が降り続いている。パーミッションは今日限りなので、クネイトラへは今日行くほかなく、HさんとJさんは傘を買いに出た。それをロビーで待つ。

10:00頃、彼らが帰って来たので宿を出て、前の大通りで、行く先をアラビア語で書いてもらった紙を手に、バス・ターミナル(バラムケ)行きのセルビスをつかまえる。

バラムケでセルビスを乗り換えるのだが、どのセルビスに乗るのかわからない。いろんな人に聞くが、みんないろんなことを言って、ますますわからなくなる。
道端に、何のためのものか知らないが、電話ボックスのような小屋があり、そこにいた人に道を聞くと、その人はボックスから出て来て、セルビスを止めて道を運転手に聞き、それから私達に教えてくれた。

バス・ターミナルでも「クネイトラ、クネイトラ」と騒いでいると、ミクロ・バスの中のおじさんがクネイトラ行きセルビスまで連れて行ってくれた。まったく親切な人達だ。

雨の中をセルビスはひた走り、乗り換え場所と聞いていた街を過ぎてしばらく行ったところで、案内人を乗せた。バスを乗り換えるものと思ってたが、その必要はなく、そのままセルビスは行ってくれるようだ。だが、ここで値段交渉が始まる…結局、3人で125SPで落ち着いた。3で割り切れる金額にして欲しかったが、まあ、しょうがない。

道中見ていると、クネイトラには完全につぶれた家が点在している。セルビスはまず病院跡へ行った。病院の壁は落ち、崩れ、壁は外も中も弾痕だらけだ。それも半端な数ではない。病院ですらこの様では、かなり激しい戦闘だったのだろう。病院の外壁には「この病院はシオニストによって破壊された云々」と書かれている。

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クネイトラの病院跡

それからセルビスは教会の前を通って軍事境界線に着いた。シリア側の事務所へ行くと、中には2人の軍人のような制服を着た人がいて、しばらくストーヴにあたらせてくれた後で、一緒に外へ出て、いろいろと説明してくれた。1969年にイスラエルが侵攻して来て街を占領し、1974年にそれを押し戻したそうだ。本当かどうかは知らない。

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クネイトラの病院跡の内部

ゴラン高原は残念ながら天気が悪くて見えず、しかし、2人のシリア人は、雨の中傘もささずに、熱心に説明してくれた。

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ゴラン高原…の方向

1998年の大晦日