ぱらりーそーしー日記

タイトルに特に意味はありません。子どもの造語がかわいかったので、タイトルに使いました。本、子育て、映画、旅行等。たまにしか投稿しませんが…

エフェソスの遺跡

 午前中は雨が降ったり止んだりしていたけど、11:30頃に止んで晴れ間が広がってきたので、エフェソスの遺跡へ向かう。3kmほどセルチュクの街から離れているらしいけど、その程度ならもちろん徒歩だ。

 道中、アルテミス神殿あたりでトルコ人の子ども達に「Japan! Japan! そっちじゃない」なんて大声で呼びかけられた。親切で言ってくれてるのかもしれないけど、私が心が狭いのかもしれないけど、「何が『Japan!』だ、そっちに決まってるだろう!」とちょっとカチンと来てしまいつつ先を急ぐ。

 3kmの距離も大したことはなく、まもなくエフェソスに着いた。
 エフェソスの入場料は100万TLだけど、GOカードでタダになった。宿で借りた案内図を見ながら歩くけど、今一つ気分が盛り上がらない。観光客が多いからだろうか。遺跡の規模はベルガマのアクロポリスに比べたらはるかに大きく立派なものなのだけど、どういうわけかいまいちなのだ。

劇場が道路向こうに見えているから、マーブル通りかな

 そんな気分をひきずりながらマーブル・ストリートを歩き、図書館へ出る。ここがこの遺跡のメインだろう。2層になった入口の壁、一層目には智恵等を表す4体の女神像がある。ここは確かに見物だ。

ケルスス図書館

 

 その横にはアウグストゥスによって解放された奴隷が彼に感謝して建てた門がある。アウグストゥスなど塩野七見の本でもおなじみの名前が出てくるようになって、少しは気分も盛り上がってきた。

クレテス通り(たぶん)

 その後クレテス・ストリートを登っていくと、左手に様々な建物が並んでいる。トラヤヌスの泉とか。そこを右左を見ながら緩やかな坂を登っていき、最後に小劇場がある。

トラヤヌスの泉

 

 この遺跡が最初はいくらか趣を欠いたように思えたのは、修復作業中なのかあちこちに作業小屋やらクレーンやらが立っているからかもしれない。それでもガイド・ブックを読んで、アウグストゥスヘラクレス、スッラなんて名を目にして気分は少し盛り上がり、見落としたところにもう1度行くためマーブル・ストリートやクレテス・ストリートを行ったり来たりして過ごした。これでエーゲ海沿岸のメイン・イベントは終わりだ。

ハドリアヌス神殿

 

 宿に帰る前に近くのレストランでチキン・サンドを食べる。サンドといってももちろんフランスパン風のパンにはさまれたものだ。ツーリスティックなとこもある街なので警戒してしまうけど、ここのおかみさんはいい人そうだ。350Binのサンドを食べて、手持ちがないので5000Binを出すと、釣りを用意するためあちこち店を走りまわってくれた。申し訳ない。

ケルスス図書館

 一度宿へ帰って休んだ後、オトガルでパムッカレへのチケット(125万TL)をとり(最初の客引きのとこであっさり買ってしまった。反省)、ヨハネが晩年を過ごしたという教会へ向かう。途中でカーペット屋のオヤジに引きとめられたりしながら(天の橋立の写真を持っていた)、教会跡へ近づいたのだけど、結局わからず、堀をのりこえて入った(後でチケットブースの前をそしらぬ顔して出ていくことになったが)。晩年にエルサルムを追われたヨハネが過ごしたというからちっぽけなところかと思ったけど、意外というかヨハネだけあってと言うべきか、なかなか大きなものだった。

ヨハネ教会

 

 その後宿へ向かってテラスのオーディオでマイルス・デイヴィスを聞きながら、ヨーロッパのガイド・ブックを読んで過ごす。時間が許せば「グラン・ブルー」のタオルミナギリシアのどこかの岬にも行ってみたい。

 Dに今日は外で食べると言って出る。街の中心から少し離れ、庶民が使ってそうなロカンタを選ぶ。ここはよそより安かった。ピラウをつけて75万TLだった。
 帰りにあまりパッとしないバクラワ屋に寄る。バクラワとはトルコの伝統的な菓子。しつこい甘さではないけど、とても甘い。小さなパイ(3cm×3 cmくらい)のようになっていて、フォークで切ろうとするとしみ出てくるほどシロップをたっぷり含んでいる。それをおっさん1人とその娘らしき人1人でやってる薄暗い菓子屋でつついた。

 

1998年12月のある日