ぱらりーそーしー日記

タイトルに特に意味はありません。子どもの造語がかわいかったので、タイトルに使いました。本、子育て、映画、旅行等。たまにしか投稿しませんが…

ギョレメの最終日

 今日は、カイセリで泊めてくれたトルコ人のSさんがギョレメへ11:30頃に来ることになっている。
 Tさんと僕とでサイコロを振り、負けた方がパンを買いに行き、朝食を済ませた。その後、「インチキ商店」とみんなで呼んでた店が開くのを待って、1日遅れの朝日新聞(82万5千TL)をお金を出し合って買った。それを読んで過ごす。江沢民来日の記事が一面だけど、特に「えっ、日本でそんなことが」というような記事はなかった。

 Sさんとの再会はあっさり終わった。彼女はアンカラでのことをいろいろと心配してくれて、車を持った人を案内人として紹介すると言ってくれる。だけど、それは断った。確かに知らない国で「庶民の足」を使って移動するのは大変だ。だけど、アンカラ情報はTさんからある程度入っているし、あまりに至れり尽くせりでは意味がない。そんなわけで断って、ホテルだけ教えてもらった(それとて2つ星ホテルで、使うかどうかわからないけど)。

 その後、オトガルでバスのチケット(200万TL)をとり、「じゃあ、写真を送ってね」とか何とか言いながらSさんと別れた。早く帰って来たので、Tさんに驚かれた。

 Tさんと昼メシを「S.O.S」で食べた後、Tさんは野外博物館に行き、こちらは宿へ戻った。日本にいたときにはなかった丁寧さで新聞を読み、飽きるとRさんから交換で得たゲーテの詩集を読み、宿の主人の子どもと遊んだ。
 子どもは反応がよくて、いい。コインを1枚、どちらかの手に隠し、どちらの手に隠したか当ててもらう。それを何回かやった後、どちらの手にもコインを隠さずに手を出し、順に手を広げて、どちらにもコインがなかった時のその子の驚いた顔、とてもかわいかった。

 その後、することもないので散歩に出た。
 ギョレメ(Göreme)の街中を流れる涸れた川に沿って上流へ向かう。しばらくホテルやペンションが続くが、やがて畑が多くなってくる。しばらく歩くと、岩峰住居がいくつかあった。畑と遺跡、街と遺跡がひっついている。

 歩きながら、ここにいる日数を考えた。月曜の夕前に着いて最初のペンションで2泊、ESEN MOTEL PENSIONで4泊だ。宿は安いし、居心地もよかったけど、そろそろ次へ移ろうかな。

 最後に少しTさんについて書いておこう。彼は名古屋出身、福岡の大学へ行っていた。卒業後、自転車で中国からここまでやって来た。もう1年ほど国外にいるという。彼は日本ではあまり本を読んだり映画を観たりしなかったので、旅であった人の話を聞くうちにいろいろと読んだり観たりしようかと思うようになったそうだ。そういうきっかけもあるのか。

カッパドキアでTさんと

 そんな話をしながらギョレメ最後の夜は終わる。この先、何が待っているだろうか。

 

1998年11月のある日