朝、昨日の夜に飲みに誘ってくれた男の人と会う。彼は今日発つと言うので、それまでしばらく話をした。
彼は京都の人で、10日間程の休みを取って、イスタンブルとカッパドキアに来たそうだ。京都、それも時々行くこともある場所の近くにお住まいだという。そんな人に会ったり、トラブゾンで会った連中にまた会ったり、イスタンブルはガラタ塔の近くで見た韓国人の女性もこの町にいたり、世界は意外に狭いな。

ホテルをチェック・アウトをすると、手持ちのトルコ・リラがなくなってしまった。ともかく次のホテルへ向かう。このホテルでは中国から陸路でトルコまで来た人と相部屋で、100万TLだった。
今日はトラブゾンで同じ宿に泊まっていて、一緒にスメラ僧院に行ったりした人たちと一緒に、ホテルの裏庭でバーベキューをした。
「先生」とRさんがレンタ・スクーターで近くの町までビーフとマトンを買いに行く。その間、残った面々は野菜、木炭を買い、野菜を切って準備する。結局、肉4kg、じゃがいも1kg、タマネギ1kg、なす0.5kgという大した量になった。
小さなバーベキュー用コンロで宿の主人が肉なんかを焼いてくれる。時に英語、時に日本語で話しながら陽気に焼いてくれる気持ちのいい主人だ。結局バーベキューは14:00に始まり、終わったのは日も落ちた16:30頃だった。コンロも小さいし、肉も多かったし。こんなにまとめて肉を食べるのは、トルコに入って初めてだし、恐らく最後だろう。
今日はKさんとRさんがパムッカレへ発ち、明朝には先生とK君がアンカラへ発つ。彼らとトルコで会うのも、さすがにこれが最後かもしれない。遠い国でバーベキューを男ばかりでするのは、何とも言えぬ楽しさがあった。

KさんとRさんは無事パムッカレへ向けて出発し、相部屋から4人部屋のドミトリーへ移った。
だけど、その夜はそれでは終わらなかった。20:30頃だったろうか、ドアをいきなり強くノックする音がしたかと思うと、Rさんが入って来て、とりあえず100万TL貸してくれと言う。お金を受け取ると、Rさんは何も言わず出て行った。
「なんだ、なんだ?」と口々に言いながら、スリッパやTシャツのまま出て行くと、彼がタクシーの運転手にお金を払っていた。
ホテルへ戻って話を聞くと、どうやらネヴェシェヒルのあたりでカバンの中にインドで撮った写真のフィルムがないのに気づき、バスを止めてもらって、タクシーで引き返して来たのだ。
おかげで今晩も先生とRさんの漫才のようなやり取りを楽しむことになった。
1998年11月のある日