ぱらりーそーしー日記

タイトルに特に意味はありません。子どもの造語がかわいかったので、タイトルに使いました。本、子育て、映画、旅行等。たまにしか投稿しませんが…

ネムルトダーゥの遺跡に着いた

最後はネムルトダーゥ(ダーゥ=山)だ。周囲の山の中で最も高い山の頂に、斜面の東と西(だったかな)に5〜6体ずつの大きな石像がある。ただ、これらの石像には頭がない。地震によって頭は落ち、石像より下の位置に生首のように突っ立っている。

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山頂の大きな石像

このネムルトダーゥはふもとの町(キャフタ)から車でもしばらくかかる。そんな山の上にこれだけのものを築かせるアンティオコス1世は、なかなか恐ろしい王だったのだろうか。石像は思い思いの方向を向いて、遠くを眺めている。

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石像の頭部

 

日が暮れてくると段々と石像の色が黄色から赤へと変わるのを見れる、はずだった。

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山頂でMというイタリア人と会ったのだが、彼のガイドのタクシー・ドライバーが、今日は雲が出ているから日没は見れないと言う。おまけにMに「一緒にケバブを食おう」なんて言われて、夕日が沈む前に山を下りることになった。

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何やら書かれている

 

だが、何ということだ。山を下りる途中、山腹を見ていると、どんどん美しく赤く染まっていく。ショックだった。結構な金を出して、しかも夕日に染まる石像群を見逃すとは。この日の晩は、この点に関しては後悔の念にさいなまれることとなった。

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もっとも、強がりのように聞こえるかもしれないけど、この日の晩はそれなりに楽しみもした。宿でMとTVを見ていると、ニュースをやっていた。クルド人のリーダーであるアポという人がイタリアへ亡命し、イタリア政府はアポを放免した。それに怒ったトルコ人の一部がイタリア大使館へ押しかけ、国旗やフィアットのスクーターを燃やしたりしている。宿の主人はクルド系だから、イタリア人であるMはいろいろと相談していた。イスタンブルアンカラでは目の敵にされかねないMも、クルド人が多いこの町(キャフタ)では割と好意的にとられる(と彼は言っている)。ディヤルバクルでは、ごはんだのチャイだのおごられたそうだ。

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ネムルトダーゥからの眺め

この夜はずっとこの話だった。ロカンタでもニュースをやっているし、ホテルに戻ったら戻ったで、近所のおじさんも一緒にTVを見て、英語で(観光産業に就いていない人も英語を話したりする)みんなで相談していた。

Mには申し訳ないが、トルコ人、イタリア人とホテルのロビーで話し込むなんて初めてだったので、こういう状況を結構楽しんだ。

 

1998年11月のある日