ぱらりーそーしー日記

タイトルに特に意味はありません。子どもの造語がかわいかったので、タイトルに使いました。本、子育て、映画、旅行等。たまにしか投稿しませんが…

まずカイセリへ向かう

 今回はGÜLARASという会社のバスを使った。前回の魚の汁に懲りているので、荷物がどこに積まれたかしっかり見届けてからバスに乗り込む。

 バスは悪くない。大都市とはほど遠い町から出るだけあって、客層が今までとは違う。女性はしっかり頭を(何と言うのか知らないが)布で覆っているし、日頃農作業をしているのか、男も女も肌が黒い。おまけに床は土だらけ、子どもは鼻を垂らしたりしている。どうも家族全体でアンカラなり、イスタンブルなりへ行くらしい。

 バスはまずアドゥヤマンへ寄った。アドゥヤマンのオトガルはすごい人だった。太鼓をたたき、笛を鳴らしてバスを見送っている。こういう光景はカイセリのオトガルでも見かけた。どうやら徴兵制で軍へ行く若者を見送っているようだ。

 アドゥヤマンを出ると、バスはまさにトルコの大地とでも言うべき雄大な景色の中を西へとひた走る。荒れてはいるがなだらかな起伏の山(丘)がずっと続き、時に遠くに岩質の山が現れる。農作業をしていたり、羊か何かの放牧をしてたりもする。

 こうしてトルコの田舎の人たちとともにバスに乗り込み、一人(外国人としては)雄大な大地の中を走っている。うまく説明できないけど、至福のときだった。
 どこも雄大と言えばそうなのだろうけど、いかにも中部アナトリアという感じだ。ちなみに、近くをユーフラテス川(チグリス川だったかも)が流れる地域でもある。

 バスは一度サービス・ステーションに寄った。そこの風景も美しい。遠くの山並みはセザンヌの絵のようだった。一人で山を眺めていると、おじさんが無言でミカンを差し出してくれたり、また別のおじさんがかすかに英語の混じったトルコ語で話しかけてくれたりする。何を言っているのかよくわからないけど、ゼスチャーと日本語そのままで何となく笑ったりしながら会話をする。こういう時はわからなくても「アンラマドゥム(わかりません)」とか言わずにしゃべり続けることが大切なのかもしれない。

 再びバスは出発する。途中、モスクに寄って祈ったりしながら進む。日が暮れる頃には、子どももこっちの笑顔に応えて笑顔を見せてくれるようになった。それがいいことかどうか知らないけど、最後には仲良くなるためもあってチョコレートをあげ、そしてしばらくしてカイセリに着き、バスを降りた。

 オトガルから町の中心まで、「地球の歩き方」の地図では300mほどになっている。では歩いて行こうと思ったのだけど、地図を見誤ったのか、歩いても歩いても着かないし、荷物は重い。悪態をつきながら、やっと中心部(の端っこ)に着いた。
 そこで地図を見ていると、トルコ人の男1人・女2人のグループが通りかかり、女性のうち一人に「お手伝いしましょうか?」と声をかけられた。日本語で。なんでも、大学で日本語を勉強している4回生だという。「よかったら泊まれば?」と言ってくれ、どう考えても悪人ではなさそうなので、好意に甘えることにした。男の家へ行くことになったんだけど、バスが全然来ないので、日本語の女性の家に行くことになった。

 彼女は日本語を専攻し、1年前にはギョレメの高級ホテルで働いていたという。男の方は30歳で、ガイドをしたり、学校でスポーツを教えたりしているそうだ。
 そんな2人とビールを飲みながら話をしていたのだけど、そのうちおかしなことになってきた。
 どうも話を聞いていると、男は彼女のことが好きらしい。でも彼女は年齢が離れているので、今はいいけど、その後のことを考えるとためらいを覚えると言う。やがて男はトルコのラブソングを歌い始めた。わざわざ部屋を薄暗くして。

 そしてひとしきり歌い終わった後も話は続く。
 何だか大学の時、そんな話を沢山していたのを思い出して少し懐かしくなると同時に、このカイセリという町で偶然出会ったトルコ人男女とこんなとこまで来てこんな話をしているという状況がおかしかった。

 でも本当によかった。単に宿代が浮いたとかって以上に、おもしろい体験ができたと思う。

 

1998年11月のある日