次にアナトリア博物館に向かった。博物館てのはどうも苦手なのだけど、ほかにすることもない。
ヒッタイトやその後の時代のレリーフ、土器、鉄器などが展示されている。時代は違うけど、日本でも縄文時代かいつか古い時代には女性をかたどった土偶がある。「マスター・キートン」によればイギリスにもあるし、そしてヒッタイトにもある。またヒッタイトの土器の模様、色合いは日本のそれに似ている。土器の方は焼く温度等の関係で似ていても不思議ではないけど、地母神の方は不思議なものだ。
日本の友達へ電話もした。特に変わりはないようだった。日本への手紙はもう着いているという。意外と早い。
その後、バザールでトイレットペーパー、電卓、サイフ等を買ってホテルへ戻った。歩き疲れた。
いいとは言ってくれたものの何となく宿の主人の目を気にしながら、ロビーでTVを見て、ガイドブックを読み、18:30までこぎつけた。食事は遅めにオトガルでとるつもりだったけど、しょうがないので街へ出た。食事をして、街をぶらついて、一昨日に大使館で会った日本人に会いに別のホテルへ行ったりして戻ると、やっと20:00前。
またも宿の主人の目を気にしながらTVを見ていると、どうやら今晩ガラタサライとユヴェントスの試合があるようだ。だんだんとロビーにおじさん達が増えてきて、その中の1人にチャイをおごってもらったりしながらTVを見ていると、21:30にやっとゲームが始まった。ユヴェントスの方はジダンをはじめ、知った顔が何人かいる。試合が始まるとおじさん達もだんだん盛り上がってくる。ガラタサライの選手がシュートをはずしたりすると、膝をたたき、ため息とも怒声ともつかぬ声をあげる。ちょうど日本でW杯の日本の試合を見ているようなものだ。特に今トルコはクルド人リーダーのアポの問題でイタリアとこじれているそうだから、余計気合が入るのかもしれない。
前半は何ということもなく、ガラタサライが押し気味で0−0のまま終わった。22:30頃だ。地下鉄がなくなっては困るので、ここでホテルを後にした。
オトガルへ着くと、TVを置いた店には人が集まっている。後半ユヴェントスが1点を入れていた。ベンチで休んでいると、一際大きな歓声があがる。多分ガラタサライのシュートが決まったのだろう。
思わぬ、そして楽しめる時間潰しができたことにホッとした。
0:30発ブルサ行きのバスは出発した。06:00にブルサに着き、(Metroのスタッフの言うことが本当なら)07:00のバスでチャナッカレへ向かうつもりだ。キツい行程になる。オヤスミ…
1998年12月のある日