ぱらりーそーしー日記

タイトルに特に意味はありません。子どもの造語がかわいかったので、タイトルに使いました。本、子育て、映画、旅行等。たまにしか投稿しませんが…

乗代雄介「旅する練習」を読んだ

大森望氏と豊崎由美氏の「文学賞メッタ斬り!」がおもしろくて、ここ何回かではありますが、時々ポッドキャストで聴いています。

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これまでは聴いて楽しんでいるだけでしたが、今年は聴いているだけでなく、候補作を一通り読んでみて、両氏の言われることと自分が思ったことを比べてみようと思ったりしたのでした。

と言っても、まじめに審美眼を鍛えようとか思ってるわけではなくて、受賞作の予想をしたりするのも一つの楽しみ方、娯楽かなと思ってのことです。競馬の予想をするみたいな。(競馬したことないので、知りませんけど…)

 

旅する練習

旅する練習

 

 

最初に選んだのは、乗代雄介「旅する練習」です。

この小説は、小説家である「私」とその姪である亜美が、亜美が小学校を卒業して中学校に入るまでの春休みに、鹿島スタジアムまで数日かけて徒歩で旅行する話です。

「私」は旅の途中途中で、目に留まった風景などを描写する練習をしながら進みます。
亜美はサッカー少女で、リフティングなどを練習しながら進みます。

この作品のスタイルが少し変わっていて(少なくとも私にはそう思われて)、その旅のことを出来事の順に書いてはあるのですが、全体として見ると、そういう順にはなってなくて…

わかりにくい説明ですみません。
その旅のことを、旅から帰ってだいぶ経った時に、「私」がそれを振り返りながら書いている、ということになっています。
そして、旅の話の合間には、「私」が練習として書いた文章が挟まれます。

ですから、物語の始まりは過去、物語の結末が現在になります。

なぜそういう話の順序になったのかは、読めばわかります。そうでなければならなかったのです。

途中、「心が動かなければ書き始めることはできない。そのくせ、感動を忍耐しなければ書くことはままならない。」という「私」の言葉が出て来ます。

これはわかるような気もします。
私はアマチュアのオーケストラで弾いていたことがあるのですが、指揮者に「心は熱く、頭は冷静に」と言われたことがあります。
これはそれに近いことなのでしょうか。

というように、抑制しながら書いていく「私」なのですが、終盤、どんどん抑制が効かなくなって行きます。ある出来事が「私」にそうさせてしまうのです。

「私」は作家でもあり、これは書くことについて書かれた物語なのでしょう。
書くことは、忘れないためでもあり(「紙碑を立てる」)、起こってしまったことを自分の心の中で落ち着かせて行くことでもあり、自分の心の傷を治すことでもあるのでしょう。

ああではない結末でそれができないものか…とは思いますが、これは作品にケチをつけているのではありません。
それだけ亜美が魅力的だったりもして、この本を読んだ(「私」ではなく)私もこうやって何か書くことで、自分の読後の気持ちをどうにかしようとしているということです。