ぱらりーそーしー日記

タイトルに特に意味はありません。子どもの造語がかわいかったので、タイトルに使いました。本、子育て、映画、旅行等。たまにしか投稿しませんが…

ギョレメ野外博物館へ

 昨日はもやが出ていたけど、今朝起きるといよいよもって雨になっていた。これで今日の過ごし方は決まったようなものだ。買い物、手紙を書く、本を読む。とりあえず、朝食のパンと牛乳を買いに出る。
 トラブゾン以来、久しぶりに雨の中を歩いた。朝食はパン(3万TL)、牛乳500ml(17万5千TL)だ。プラス買い置きのハチミツ。だいたいこれが毎日の朝食(ときには朝昼兼)となる。午前中は特にすることもなく、過ぎていった。

 昼からは雨もやんだので、ギョレメ野外博物館に行ってみる。ゆるやかな上り坂を1kmほど歩くとある。たったそれだけの距離なのに、少し息が切れ気味だ。今はもちろん水泳も行っていないし、運動なんて全くしていない。体がなまって来た気がする。

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ギョレメ野外博物館へ

 ギョレメ野外博物館の入場料は120万TLだけど、“Öĝrenci(gの上についてるのは本当は上下反対向き)”(学生)は70万TLだった。
 ここは例によって岩峰をくり抜いてつくった住居、教会が数多くある。教会などは、くり抜いて、その後、内部にレンガ等を積んで作ったのではなく、全く最初からくり抜きのみでつくられている。それでも教会内部には立派に祭壇やドームがつくられ、フレスコ画が残っている。

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ギョレメ野外博物館

 立派なのは立派だけど、何故この地方の人々はこんな岩山に住んでいるのか。高層建築と言えば聞こえはいいけど、実際に入ってみると、通路は狭かったり、楽なものではない。別に平地が全くないわけじゃないのに。こんな場所に住まねばならなかったどんな理由があるのだろうか。やっぱりここでもキリスト教徒は迫害されていて、隠れ住んだんだろうな。

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ギョレメ野外博物館

 野外博物館の見学を済ませて、PTTへ向かった。どういうわけかカメラの日付表示が出なくなってしまったのだ。日付をメモしながら写真を撮るのは面倒だ。そこでマニュアルで操作方法を見てもらおうと実家へ電話をかけた。

 日本へ電話をかけると、非常に気が焦る。テレフォンカードでいうと、ほとんど1秒に1度数減るような感じだ。おかげで親と話していても、相手が用件以外にいろいろ話すと、ついいらついてしまう。いや、それは日本で電話するときも同じか。自分が親で、子どもにそんな口のきき方されたらいやだなと思いつつも、なかなか変わらない。何故そうなのか、いつになったらそうでなくなるのかと思いつつ、いたずらに時が過ぎていく。親に対して甘えがあると同時に、自分にどうしても似た部分があるのがイヤなのかもしれない。

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ギョレメ野外博物館

 それ以降の一日は、宿の主人との関係の強い一日だった。主人と子どもの写真を撮ってみたり、それから夕方には主人にバックギャモンのやり方を教えてもらったり。
 バックギャモンとは、言ってみればスゴロクだ。このギョレメに来て初めて街角でこれをやってる人を見たので、一度やってみたいと思っていたのだ。言葉はあまり通じないなりに少しずつルールがわかってきて、数ゲームを楽しんだ。主人が楽しんでたのかはわからないけど。

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宿の主人と遊ぶ

 それからTさんと食事に出た。今日は今まで入ったことのないレストランにしたのだけど、入ってみると結構高い。結局、70万TLのキョフテにした。イスタンブルに来た当初は120万TLくらいなら安いと思ってたけど、最近は100万TLに近づくと控えてしまうようになった。安く抑えようとするのが悪いとは思わないけど、あまりそれに執着するのは考えものだな。懐は少し潤うかもしれないが、やり過ぎると心が貧しくなる。

 その後、買い物をして宿へ戻ってみると、主人が家でサズを弾いているのが窓越しに見えた。厚かましくもドアをノックして聴かせてほしいと言うと、主人は気軽に招き入れてくれた。子どもが遊び、奥さんが編み物をする中で主人が何曲か弾き、歌ってくれた。少し哀愁もある旋律、音階だ。1時間ほど子どもと遊んだり、チャイを飲んだりしながら楽しんだ。この宿は安いし、主人もいい人でなによりだった。

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これがその宿

1998年11月のある日