ぱらりーそーしー日記

タイトルに特に意味はありません。子どもの造語がかわいかったので、タイトルに使いました。本、子育て、映画、旅行等。たまにしか投稿しませんが…

ロードス島へ

 今日で日本を発ってちょうど1ヶ月となった。

 今日はロードス島へ行くべく、06:00起きという自分としてはものすごい早起きをした。フェリーは09:00に出るけど、オフィスの若いスタッフは08:00には行けと言っていたので。宿から発着桟橋まで歩いて30分はかかるし。

 まだ外は薄暗く、暖房のない部屋で毛布2枚では寒く、起きるのが苦痛だった。最近よく夢を見る。眠りが浅いのかわからないけど、そういった夢には大学の友達から小学校の友達まで混ざって出て来て、自分も一緒にいろんなストーリーをくり広げる。その内容というのは、起きてものを考えてるときよりも示唆的だったり、思索的だったり、大切なことを訴えてたりするのだけど、残念なことに起きるとほとんど忘れてしまっている。

 それはともかく、今日もまた人通りも開いている店も少ない中を桟橋へ向かう。07:45には桟橋へ着いてしまったけど、形ばかりの税関の建物は開いていない。寒い中あたりをブラブラしながら待ち、結局開いたのは08:30近かった。オフィスのスタッフに用紙をもらって記入し、何の質問もないまま税関で「出国」のスタンプを押され、そのままフェリーに乗り込む。フェリーといっても小さなものだ。

 フェリーは09:30頃に出港した。客は5人。ドイツ人1、日本人1、トルコ人3のようだ。ドイツ人とトルコ人2人はフェリーに乗る前から楽しそうに英語で話している。トルコ人も英語をよく話す。日本人は話さない。したがって、孤独を愛する愛さないにかかわらず、話の輪にいまいち入れない。どうすれば英語を話せるようになるのかとロードス島へ向かうフェリーの中で考える。一番いかんのは恐らく日本語で考え、それを英語に直そうとすることだろう。そしてちょっとした表現を知らないから訳せず、つまりしゃべれなくなる。英語で考えねばならないのだろう。シュリーマンは他国の言語の学習法として、声を出して読む、訳さない、毎日作文する…をあげている。つまりは訳すプロセスをなくす。子どもが言葉を覚えるようにして学ぶ、ということだろう。

 そんなことを考えているうちに、2時間ほどかかってロードス島に着いた。ギリシア初上陸だ。ギリシアの国旗がひるがえり、その下には「ユーロ」の旗が掲揚されている。港を取り巻くように、というより海岸線に沿って、中世の城のような城壁が走っている。

 それを除けば、走っている車も、歩いている人もさほどトルコと変わったような気はしない。帰りのフェリーまでの約2時間、その城壁の中の街を歩いてみたけど、文字が違うことを除けばほぼ同じだ。もっともこの島はギリシア本土よりトルコに近いから、本土はまた違うのかもしれないけど。

 また、ふと気付くと、自分自身はどこに行っても外国人と見られるけど、自分が「外人」達(日本人じゃない人たち)を見る分にはもうすっかり目が慣れてしまったようだ。近頃よく日本へ帰ったときのことを考えてしまうけど、髪の黒い日本人が大勢あたり前にいるところを想像するのが困難になっている気がする。

 2時間はあっという間に過ぎ、14:00にはロードス島(ローマ時代にはエリート大学があり、貴族の子弟が多く留学していたこの島)を後にした。

 マルマリスへ戻ってから実家へ電話した。日本では23:30過ぎになってるはずだけど、今日は金曜日だし、どうせ「ナイト・スクープ」を見て起きているだろう。

 夜は出費が気になっていることもあって、ドネル・サンドですまし、いつものスーパーでパンを2本買い、うち1本で腹を満たすことにした。

 また、セントルムのバス会社のオフィスで、アンタルヤへのチケットを買う。今回はバス会社「パムッカレ」だ。アンタルヤでジャパニに会えるといいのだけど。

 

1998年12月のある日