ぱらりーそーしー日記

タイトルに特に意味はありません。子どもの造語がかわいかったので、タイトルに使いました。本、子育て、映画、旅行等。たまにしか投稿しませんが…

久しぶりのイスタンブル

06:30頃から周囲が騒がしくなり始め、予想外に早く起きてしまった。通路に出ると、ツアーのおばさん達が並んで外を見ていた。昨日のおばさんが来て、少し話をした。自分の娘が同年代だから心配してくれているようだ。最後にギリシアローマ神話の本をくれた。日本語の本はありがたい。

ハイダルパシャ駅には08:30頃に着いた。ハイダルパシャ駅は堂々とした構えで、海に浮いているようにも見える。すぐ前の乗り場からフェリーに乗ってエミノニュへ向かう。海峡の向こうにブルー・モスクなどがけぶってみえる。懐しきイスタンブルだ。

ハイダルパシャ駅

 

今日の宿はムーン・ライトにしたんだけど、行ってみて驚いた。日本人だらけだ。2階にドミトリーが3部屋あるけど、全て日本人だった。日本人に会えるのはうれしいけど、ここまでとは。

ハイダルパシャ駅 なんでこんなに斜めに撮っているのか

 

午前中はダラダラと、シャワーを浴びたり、洗濯したりして過ごし、昼頃、宿にいたOさんと食べに出た。安ロカンタ街や中華料理屋を教えてもらい、うち一軒のロカンタで昼ごはんを食べる。

彼女は1年前に仕事を辞め、何も知らぬまま、出発の3日前にそのことを両親に告げて出て来たそうだ。あちこちに長く滞在して(例えばアンタルヤ20日間ほどとか。美布里も知っていた)、もう1年になるそうだ。穏やかに話す、しゃべりやすい人だった。

それから彼女と別れ、PTTへ向かい、その後、領事館へ向かう。地図上で、あるいはフェリーから見ると大したことなさそうな距離だったけど、歩いてみるとえらい距離だった。1時間15分はゆうにかかった。おまけに手紙もガイドブックも未着。意気消沈したり、ギリシアどうしようかなあなどと思いつつ、またへとへとになりながら帰った。
(この頃は領事館はスイス・ホテルだったか、タクスィム広場からそう遠くないところにあったような気がするけど、今は違うらしい)

宿でギリシアの「歩き方」を読んだけど、物価は高そうだし、宿も結構閉まってるところが多そうだし(何せオフシーズンだから)、段々と行く気が失せて来る。
夜は同宿の人達とドイ・ドイへ行った。「歩き方」にも載ってる店で、安いわりに味もよい。同行した人は、Kさん(雑誌のデザインをしていたけど仕事を辞めて来た)、Tさん(休学中の学生)、Iさん(元自衛隊)、Eさん(バイク便)だ。夜は宿へ戻り、Kさんらのギターを聞きつつ、これを書いている。

夜、IさんとUさんに誘われて、オリエント・ユースにベリー・ダンスを見に行った。オリエント・ユースの下のバーで酒だけ飲んでれば、無料でベリー・ダンスを見れるのだ。3人で22:00頃から飲みつつ待っていると、残りの連中もやって来て、23:00過ぎにダンスが始まった。ダンサーはスタイルもよく、顔はベアトリス・ダルによく似てセクシーだった。一しきり踊ると彼女は客を一人ずつ引っぱりだして上半身の服を脱がせ一緒に踊り出す。不幸にして引っぱり出されてしまった。欧米人はいきなり引っぱり出されても器用に踊るが、自分はうまく踊れずカッコ悪い思いをした。

明日はハマムへ行ってみるつもりだ。そしてギリシアへ行くか、シリアへ行くか、早いうちに決めねばならない。

 

1998年12月のある日