ぱらりーそーしー日記

タイトルに特に意味はありません。子どもの造語がかわいかったので、タイトルに使いました。本、子育て、映画、旅行等。たまにしか投稿しませんが…

それでいいのか?

もうすぐに忘れ去られてしまうんだろうけど(自分もすぐ忘れそうだ)、「町が誤って振り込んだ4630万円を、振り込まれた人が返さず…」という事件があった。

何人かでこの話をしている時に、ある人が「返さなくていいよ、間違って振り込んだ町が悪い」とか「返さなくても、最悪でも少し服役すれば、もらい得になるかも」てなことを言っていて、モヤモヤとした気分になった。

他愛のない雑談にめくじらを立てることはないのかもしれない。
世代的にと言っては乱暴だけど、公務員叩きが好きなのかもしれない。

でも、町の職員のことを揶揄できてスッキリするかもしれないけど、そんなんでいいのだろうか。
お金を返さない人に快哉を送り、町をバカにするその行為が何を破壊するのか、よく考えた方がいいと思う。

本当かどうか知らないけど、例えば、日本に来た外国人は、落とした財布が中身も含めて返って来ることに驚くという。こういう話を好きな人は多いだろう。私だって、そうだ。

「私たちは落とし物は拾って届ける人たちです」
「私たちは自分のものではないものを盗んだりしない人たちです」
「私たちは誤って振り込まれたお金は返す人たちです」

実際にそうであるかどうかは置いておいて(概ねそうであるとは思うけど)、少なくとも「自分たちはそういう人たちだ」というよい思い込みがアイデンティティの一部になっているのだろう。
もしかしたらそれはフィクションかもしれないけど、それを信じることで保たれて来た社会秩序というものがあるように思う。

だから、先の人のような考え方は、その私たちの社会を保つのに役立つ共通自己認識、共同幻想を傷つけてしまうと思うのだ。

政治の世界でも、改革を声高に叫ぶがその実ただの壊し屋という人が人気があったりするから、世の中がそんな風潮なんだろう。
でも、その場だけの「スッキリ」が何を壊すのか、よく考えた方がいいんじゃないかな。